照明が暗い理由

居酒屋やバーの照明が暗いのには、理由がちゃんとあるらしい。

まず、視覚効果によって料理がおいしく見えるそうだ。

太陽光に近い色合いが出る事により、暖かさが演出できるのだという。

また、周囲を暗くすることによって目の前の事に集中できるという効果もある様だ。

あまり明るすぎると会話に集中できないらしい。

あまり見えないものを見ない様にする事で、余計な力が必要なくなるとのことだ。

参考になった。

苗字

現在日本で一番多い苗字は佐藤だそうだが、かわった苗字も結構ある。

日本の名字の由来に関して、言語学者は、天皇、宗教、地方の特徴などが関係していると見ている。

古代、氏族社会の時代、地域や職業を特色を表す「氏(うじ)」があり、その後日本を統一した大和朝廷が氏姓制度(しせいせいど)を導入し、「氏」が支配階級の構成単位となった。平安時代になると、貴族や武士では、血縁集団を区別するための氏(ウジ)とは別に、家族集団を区別するために家名ないし名字を名乗るようになり、それが一般的に通用するようになる。

外郎売

アナウンサーや役者等の声のトレーニング用として有名な外郎売だが、もともと歌舞伎の十八番の一つらしい。

最初は自己紹介から始まり韻をふむ、その連続技がダイナミックだ。

それもたたみかける様な早口に。
どんどん口が滑らかになっていく。

人によっても色々なパターンがある様で、アレンジのしがいがある題材なのだろう。

かつて謎だったもの

実は人が作ったという事が分かったミステリーサークル。

あれだけ騒がれていて、しかも作るのは大がかりだろうに、何故本人達が言ってくるまで分からなかったのだろう。

ネッシーは写真の悪戯だったと記憶していたが、実際はまだ判明していないらしい。

中国の野人はどうだろうか。ただあの映像、髪は単発だし、村人もそばにいる事から、少し人間離れした体格の人間なのだと思う。

謎は謎のままだから面白い。

懐かしの記憶

昔懐かしいものを思い出してみた。

大草原の小さな家。子供の頃、意味は分からなくても自然の大きさ、人間の小ささとそれを分かっていても強く生きるたくましさの様なものを感じていた。

ポリンキーのCM。ねるねるねるねのCM。耳に残るキャッチフレーズは偉大だ。

エリマキトカゲ。あっという間にブームが去ったが、襟飾りを広げる姿はインパクトあったなー。

アクエリアスの味。昔は薄かった。それが却って飲みやすく、ポカリスエットとの差別化になっていた様な気がした。

 

こけら落とし

ドームで、こけら落としがなんだったのかが気になった。

東京ドームは、巨人・阪神戦。

福岡ドームは、ダイエー・オリックス戦。

オリックスは、この頃既にオリックスだったのか(1993年とのこと)。

名古屋ドームは、BZのコンサートらしい。

他にも色々調べてみようと思う。

 

リゲインのCM

バブル時代を象徴するかの様な、発売当時のリゲインのCM。

24時間闘えますか、は子供心にもグサッときたのを覚えている。

時任三郎はあれで大変メジャーな存在になった。

牛若丸三郎太というキャラクター名も思い出した。

牛若丸三郎太を主人公にしたゲームまで発売されていた様だが、それは知らなかったな・・・

 

オルゴール

14世紀、1300年代にオランダなどでは、カリヨン(カロヨン)と呼ばれた教会などの紐で引っ張って鳴ら す鐘の音で人々に時を知らせていた。

これを自動化したものが自動カリヨンとよばれ、オルゴールの始 まりとされているが、かなりの大きさで、バレルという巨大な木製のシリンダーについた突起を重 りの重さで回転させ、ハンマーで鐘をたたくというもの。

これが、広場 などで時計と共に時間を知らせるようになっていった。はじめての自動カリヨンは1381年にベルギー のブリュッセルで、聖ニコラウス・カークの塔に設置されたものだと言われている。

このカリヨンが、後にオルゴールとなって多くの人々に完成された音楽を聞ける様になるのだ。時計とオルゴールの関わりはこんなところに端を発している。

 

地球は青かった?

1961年に世界初の有人宇宙飛行を成功させたガガーリンだが、有名な「地球は青かった」のセリフは、実は言っていない様だ。

実際には「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」だった様だ。ごくごく普通の言葉(笑)。

もう少し詩的な説もあり、諸説入り乱れているみたいだ。

ただ、日本ではガガーリンと言えば「地球は青かった」なので、そこまで定着してしまったらどっちでも良い気がする。

冷戦時代の初期だったにも関わらず、来日したガガーリンを日本人は大歓迎したというエピソードもあった。

 

ロッキーシリーズ

退廃的なアメリカン・ニューシネマ全盛の70年代に、ロッキーはいきなり割って入ってきた。

王道をいくストーリー、挑戦する事の尊さを説くカタルシス。

でもやはり、王者には負けるというのが正しい選択で、あれでいきなりロッキーがチャンピオンになってしまったら趣旨が変わってしまう。

しかし興業的な成功を収めた事により、当然の様に続編となると、今度はチャンピオンになるしかなくなる。

そうしたジレンマがありながらも、ロッキーシリーズは続いていった。

3作目は、復活がテーマであり、宿敵アポロが味方につくという流れ。

4作目で、そのアポロやトレーナーのミッキーの死という一大転機を迎え、でもこれはエンタメ要素と当時のアメリカ・ソ連の対立にスポットが当たってしまい、焦点がぼやけていると感じてしまう。

5作目は観ているのがつらい。ストリートファイトにいってしまってはこれまでの積み重ねがブチ壊しではないか。

6作目のロッキーザ・ファイナルは年老いたチャレンジャーとして、若きチャンピオンに向かっていく展開でカタルシスがある。

振り返ってみると、やっぱり1作目がずば抜けているな。
これはもう、仕方のない事で2作目以降はそれぞれのテーマを受け止めて楽しむのが良い。