キャプテンアメリカ

アメリカのヒーロー物の中でも、最も分かり易いのはキャプテンアメリカだろう。

なにせ、名前にアメリカという冠がついているのだから。

人間を超人兵士に生まれ変わらせる特殊な血清を創ったアースキン博士がナチスの工作員に暗殺されたため、血清の秘密は失われた。戦後、この血清の副作用でキャプテン・アメリカは死亡しかけた事がある。

キャプテン・アメリカのスーツおよびマスクは、星条旗をモチーフとしている。当初、マスクはスーツと一体ではなかったため、マスクがズレることがあった。それを防ぐことに加え、首の防弾性を配慮した結果スーツとの一体型となった。

スーツはスケイルアーマーである(アップのイラストでは、スケイルが描かれている場合がある)。円形のシールドを装備している。このシールドは、防御用として使用する他、フリスビーのような投擲武器としても使用される。

カレー

1月22日はカレーの日だと言う。

1982年1月22日に全国学校栄養士協議会が全国の小中学校で一斉にカレー給食を出したことから、記念日になったそうだ。

日本人はとにかくカレーが好きだ。

日本人は週に1回以上、1年間で約78回はカレーを食べているというデータもあるらしい。

普遍の王道食べ物、それが日本人にとってのカレーである。

レーザーは怖いのか

やはりレーザー治療のレーシックは怖いのか。

レーシック手術を巡り健康被害の訴えが相次いでいる問題で、昨年12月、被害相談ホットラインを開設した医療問題弁護団への相談が129件に上ったことがわかったそうだ。

過矯正の問題や、ドライアイ、疲労感の増加など様々なトラブルを抱えている人が出てきている。

まだ相談していない、不具合が出ている人も居るんじゃないだろうか。

ITはどこにでも

こんな記事を見つけた。

ボリビアと国境を接するブラジル北西部の熱帯雨林に、スルイ族という先住民が住んでいる。アマゾンの豊かな自然を護る彼らにとって、かつての武器だった弓矢はいまや家の飾りにすぎない。スルイ族が違法伐採者との戦いに使うのは、それよりはるかに洗練された“武器”だ。

たとえば彼らは、アンドロイドOSを搭載したスマートフォン数百台を使って森のなかから違法伐採しているところを撮影し、告発する。あるいは、ノートパソコンからグーグル・アースにアクセスし、伐採が行われていないかを“空”から監視している。

原住民部族にITを持ち込むなど、漫画の世界の様だが本当の話。

ITは既に、どこにでも深く入り込んでいるのだ。

オセロ

オセロは日本でできたゲームなのは有名だが、どうやってできたか、が面白い。

作った人が奥さんに囲碁を教えようとしたところ、難しくてなかなか覚えてもらえず、作ったのだそうだ。

という事は、最初は碁盤でオセロをやっていたという事だろうか。

ひっくり返す度に相手の色(プレイヤーが黒なら白)をつまんで、置くのだろう。

面白い。

黒い物

ゴキブリの恐ろしさは想像を絶する。

逃げるときにIQ300を越えるという説を見かけた。人間の行動を日頃から見ていてピンチになるとゴキブリが苦手な人に向かって突進するそうだ。

観察されている・・・・これは恐ろしい。

あの素早さと、カサカサという音には精神的に参ってしまう。

知らなかったが、シロアリもゴキブリの仲間だそうだ。

教科書に載せたい日本史

タイトルにある様に、本当はどうだったのかというポイントについて。

明智光秀が織田信長を討った「本能寺の変」は光秀が単独で行ったのではなく、信長に不満を持つ朝廷と光秀との密接な連携があったこと。秀吉の「一夜城」として有名な墨俣城は一夜で築けるものではない。

西郷隆盛と勝海舟の「江戸城開場談判」によって無血開場されたと言われているが、実際はイギリス、フランスからの圧力によって西郷は江戸城攻撃が不可能となったことなど。

「マルコ・ポーロの”当方見聞録の黄金の国ジパング”は日本ではなくボルネオ」

「江戸寛政期の浮世絵画家の東洲斎写楽は喜多川歌麿の別名である」

「コレラはペルーの来航とともに日本にやってきた」「日米開戦の最後通牒となった”ハル・ノート”は、本当は最後通牒ではなく日本は戦争を避けようとしている米国の真意を見誤った」

幅広く真の歴史を取り上げていて、興味深い。

室町幕府の財政

室町幕府の財政は幕府直轄の御料所からの収入が主であったが、南北朝の戦乱の際に敵対する南朝側より狙われて奪取されたり、自軍への恩賞にされてしまうケースも多く、次第に土地からの収入が減少して鎌倉幕府や江戸幕府に比べて小規模であったと考えられている。このため、武家役として臨時の段銭や棟別銭などが徴収された。

商人に対しては特権や保護の代償に営業税などを取り、各港からの津料、関所のからの関銭(通行税)も徴収された。

足利義満の時代に京都の土倉や酒屋に対して恒常的に役銭を取る権利を認められると、段銭や棟別銭等と共に納銭方と呼ばれる幕府御用の土倉によって徴収された。

後に納銭方は幕府の委託を受けて税収の保管・出納の事務等も任される様になり、こうした土倉を公方御倉と呼んだ。更に義満が日明貿易を始めると貿易そのものや抽分銭による収益も幕府収入となる。

貿易の回数が限られていた為に臨時収入的な物に留まったが、1回の貿易で他の税収の数年分の収益を挙げる事もあったとされている。